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ケータイをもったサル
2006-04-22 Sat 22:30
本日,京都市内某所にて「ケータイを持ったサル」の著者,正高信男氏の講演会に顔を出してきました.もちろんピンでです(-_-;)さみし~
あっここから結構真面目な話なんで読むのめんどくさい人はそうそうに切り上げてください.

とりあえず,正高信男氏の紹介:京都大学霊長類研究所教授です.研究のために日本中にサルが増えることを望んでいます.

それじゃあ始めます.
正高氏曰く,“私”というものは,環境(周囲の目)により形成される部分が大きいそうです.“学習”の報酬が単なる食料ではなく社会的注目・賞賛であり,私達はそれらに快感を感じているからだそうです.特に,日本人にはこの傾向が強く表れているそうです.と,いうのも私の文化のベースとして農耕作業があるからであり,また農耕作業というものは一人ではなく集落などの団体での作業となるために私達はよく言うと団体を重んじる,悪く言うと周囲の目を気にする傾向にあるそうです.
また,これらの症状は日本におけるケータイ文化にも顕著に現れています.欧米ではケータイメールは月に30回程度が普通らしいのですが,日本では日に30 回のメールをする人はそこら中にいて,その用途も大概はささいなことです.ささいな事ではありますが,ケータイメールにより人とのつながりを多いに感じています.しかし,逆説的に言えば,私達はケータイメールがなければ人とのつながりを感じられないようになっているのではないだろうか?よく「ケータイがなければ生きていけない」といった言葉を聞くが,これはかなりさみしいことではないだろうか?
昔はケータイメールという形あるものがなくても人とのつながりは十分感じられただろう.SNSを使いながらこんなことを言うのもなんだが,人にとって便利なものとして現れたケータイが実は便利なものとしてに機能は少ししか現れておらず,単に人とのつながりを複雑化させているような気もする.
現代社会の生活は様々なものの登場・発達によりどんどん便利になっている.しかし,その“便利”なものによって私達のこころは豊かなものとなっているのだろうか?その“便利”というものの先に待ち受けているものを見通していく必要があるのではないだろうか.

ってあんま話まとまってね~(-_-;)やっぱケータイ世代は文章力低いわ
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